県指定文化財

若一王子神社 三重塔

若一王子神社 三重塔

蟇股(かえるまた)内部に、方位に合わせ束帯(そくたい)をつけた十二支の動物という珍しい彫刻が施されており、松本平には唯一の優雅な塔です。


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若一王子神社流鏑馬の神事(県無形民俗文化財)

若一王子神社流鏑馬の神事(県無形民俗文化財)

若一王子神社の流鏑馬は、今では華麗で優美な全国一を誇る子供流鏑馬です。 平安時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた仁科氏によって、五穀豊穣の祈りとして続けられたものです。各町の代表である10騎の少年射隊が、各所に設けられた的を馬上から射ながら進行します。

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霊松寺(県宝 山門)

霊松寺(県宝 山門)

「こんな山奥にこんな立派な」と誰もが驚く、600年前創建の古刹。
曹洞宗寺院としては長野県内最古とされています。秋には境内周辺の紅葉が美しく、葉にギンナンがついた珍しいオハツキイチョウの木が山門前にあります。 二階建て楼門形式の山門は、明治の初めに松川村観勝院から移築したもので、諏訪大社の宮大工立川和四郎のみごとな彫刻が各所に施されており、県宝に指定されています。

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天正寺(県宝三重小塔)

天正寺(県宝三重小塔)

桁行(けたゆき)・梁間(はりま)ともに1尺3寸7分6厘(42cm)の三間の三重塔。従来、若一王子神社三重塔の10分の1の雛形とされていましたが、細の手法は全く異なっており、江戸時代中期の構造とみられています。

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弾誓寺 (県宝 聖観音菩薩立像)

弾誓寺 (県宝 聖観音菩薩立像)

像高161.5cm、ケヤキ材、一木造りで内刳り(うちぐり)なし。藤原前期の貞観(じょうがん)時代の特色を残した10世紀初頭(平安中期)の作と思われます。古く木舟の浄福寺から移されたものと伝えられ、仁科文化を物語る大切な仏像です。

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仁科神明宮古式作始めの神事・神楽(県無形民俗文化財)

仁科神明宮古式作始めの神事・神楽(県無形民俗文化財)

永禄9年(1566)作始めの舞台の記録が最古。この神事で当時の耕作の順序をうかがう事ができ、またその年の作柄を占います。 神楽は面・装束をつけて古式ゆかしい笛と太鼓の楽にあわせて舞うものと、謡曲によって能楽のように演じるものとがあって、簡素でしかも神厳幽雅な気品を備えており、全国的に類のないものです。
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大黒町舞台(県宝)

大黒町舞台(県宝)

木造二階建の祭屋台。一階は前後左右に小さな庇(ひさし)をつけた出窓をもうけ彫刻で飾り、二階は四囲に高欄を付け、四本の柱で屋根を支え、二階縁下及び妻・桁部分に彫刻を施す。 昭和58年に大町市有形文化財に、昭和62年に「県宝」に指定されています。舞台の創設は、文政9年(1826年)となっています。

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上原遺跡(県史跡)

上原遺跡(県史跡)

昭和25年から27年までの間、3度にわたっての発掘調査で、2群の配石跡と竪穴などの遺構が発見され、多量の土器・石器が採集されました。 その結果、今から約5,000年程前の縄文前期の遺跡であることが明らかになりました。なお、この調査は当時の発掘調査研究に一つの基準を与えた記念すべきものでした。

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森城址 仁科神社

森城址 仁科神社

平安時代の後期現在の大町周辺には2つの荘園があり、この荘園を支配していたのが仁科氏でした。仁科氏は、古くは高瀬川段丘上の社館之内に居館を構えていましたが、室町時代の初め頃には、現在の大町市街へ移住しました。
二重の塀に囲まれた屋敷の跡は今も残り、天正寺になっています。一方で、戦乱などに備えて木崎湖畔に突き出た半島状の地形を利用し、三方を湖と沼地で囲まれた「水城」を築きました。これが森城です。城の大部分は現在では集落になっていますが、本丸跡には仁科氏や明治以降の戦没者を祭る仁科神社が営まれています。境内には承久の変で鎌倉幕府軍と戦った仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残っています。

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大町市観光協会
〒398-0002長野県大町市大町3200
年末年始(12/30~1/3)以外は営業 営業時間 8:30〜17:15